事業所活動

 原爆症認定訴訟が岡山地裁で行われていることを、どれくらいの方がご存知でしょうか。
 原告は川中優子さん。

 

 10月14日、水島協同病院にて裁判所の出張尋問が行われました。尋問をうけたのは院長の里見先生。
 川中さんの病気と被爆の関係を立証するため証人尋問に立ちました(こういう言い方が正しいのか分かりませんが)。


 詳しくは倉敷医療生協労組のブログ「白衣の仲間」、下記よりご覧下さい(写真もあります)。
http://white.ap.teacup.com/applet/roudoukumiai/20091015/archive


 傍聴していた職員から、かなりストレスを感じるやりとりだったと聞きます。国の弁護団が里見先生の発言を遮る場面が多々あったとのこと。

 

 裁判とはそういうものなんですね...。

 

 公判後、川中さんは「補償金がどうとか、そんなことはどうでもいい。私が被爆者でないとすれば、原爆の実相は伝えられない。私が被爆者でなかったら、いったい原爆とは何なのだろうと思うのです。」と話されていました。

 

 原爆の実相。都合の悪い真実は闇に葬られて、真実が真実と認められないなら、同じ過ちを繰り返してしまうかもしれません。

 

 川中さんを支援する輪を広げていきましょう!

 

水俣大検診の報告会(10/16)[事業所活動] 2009.10.23

 10月16日(金)、岡山協立病院にて水俣大検診の報告会がありました。
 水俣大検診は9月20日(日)~21日(月)、熊本・鹿児島両県にまたがる不知火海沿岸地域にて、水俣病への健康不安を抱える住民への大検診が行われました。感覚障害や視野狭窄など、1051人もの住民が受診しました。

 岡山県民医連からは高橋淳副院長(岡山協立病院)、西田静香医師(岡山協立病院研修医)、中尾英明医師(くらしき診療所)、近藤香織保健師(水島協同病院)の4名が参加しました。

 

 この大検診に参加した西田医師は

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 「水俣病は小中学校で習った知識しかなく、もっと勉強して行けばよかった。50年も前のことだけど、今も続いている疾患でした。初めて病院外で医療行為をし、患者さんと直接話しができたことが、最も大きな収穫でした」と話しました。

 

 同じくこの大検診に参加した高橋医師は水俣病の歴史、今回の大検診の目的や意義、様子を報告しました。受診された住民の、9割以上の方に所見があり、また有機水銀の排水をとめた1969年以降生まれの方にも所見があることが確認されました。

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「今回改めて学んだことは、誰の立場に立って医療を行うのか。健康被害があったときもそうだけど、毎日の仕事でも、誰の立場に立って医療を行うのか、日々考えていきたい」と締めくくりました。

 

 9月30日、桑田智子さんを招いて、薬害肝炎の講演会を岡山協立病院にて行いました。

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桑田さんが受けた被害
 桑田さんが感染したのは第1子出産時の出血治療として血液製剤フィブリノゲン製剤投与のためでした。2001年肝炎発症し、翌年インターフェロン治療を行いました。この頃の治療の効果は1割、費用は100万円。死の恐怖と絶望。治療も思わしくなくうつ状態になったことも。桑田さんの場合はカルテでの証明ができ、声をあげられない肝炎患者の代表として娘の命を無駄にしない生き方をしたいという思いで実名提訴を決意されました。

 

一番辛かった大阪判決前後
 2006年3月から2度目のインターフェロン治療を開始。裁判と治療の中でうつ状態となり、両立は無理とどちらかの選択が迫られました。家族の支えや弁護団との絆、この闘いの社会的意義の大きさ、途中で命絶えても惜しくないと思える闘いだと思い裁判をとりました。
 2007年9月以降、国会状況の変化の中、国会陳情を繰り返し、身体を張った2度の座り込み、官邸行動、地方議会要請など被害者が先頭にたった行動を行ないました。
 大阪高裁での和解勧告がありましたが「子どもたちのために。全員が認められないと救済されない」という思いで頑張り、2008年2月大阪高裁にて和解成立となりました。

 

医療者として過去の薬害から学んで
 医療者に望むこととして、過去の薬害から学んで欲しい。MRの情報を鵜呑みにせず海外治験データなどの調べること。患者の利益を最優先に信頼関係を大切にすること。副作用情報の提供とインフォームドコンセントを大切にと。また薬害について医学部、薬学部で授業に位置づけてほしいと話されました。

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